ギャルリももぐさ/百草
作品/百草
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百草夏百種展
「 沖縄から 」

2014. 7. 12 (土) − 27 (日)
11:00 - 18:00  
会期中無休

作家在廊日|7.12(土)13(日)
真喜志民子 宮城さゆり 永津禮子 内間ルミ子 高良留美子
喜舎場智子 渡慶次弘幸・愛 宗像誉支夫

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■宗像堂の週末出張パン屋さん 11:00〜なくなり次第終了
7.12(土)13(日)19(土)20(日)26(土)27(日)

週末限定で宗像堂のパンが百草にやってきます
7/12(土)13(日)には沖縄より宗像堂の宗像誉支夫さんがいらっしゃいます


◎八重岳ベーカリー
以前よりご好評頂いている焼き菓子のシリーズに加え、
大嶺實清さんの令名の新作クッキー「くじらのソーキ」が特別入荷します


 












大嶺實清
先端からの風

百種展県別編の10県目は沖縄である。国内すべての県を回ろうと、高一の時から旅を始めたが、岐阜から遠い県が僅かに残る。ヒッチハイクと野宿から、様々な交通手段へグレードアップしたものの、初沖縄は3年前のShoka:のこけら落とし展だった。それ以来、計三回沖縄を訪ねたが、Shoka:の田原あゆみさんが精力的に動き、作り手たちの交流が盛んになっているように思う。元々手仕事が盛んな県だけに、沖縄に移り住む人も増え、ますます元気になっていくだろう。
 沖縄は1879年まで王国であり、薩摩藩と中国の微妙な支配関係はあったものの、琉球という中国由来の呼称から分かる通り、中国の文物は沖縄を通して日本に入ってきていた。沖縄は日本の末端ではなく、先端だったのである。一つの国であったから、城下町と同じように生活に必要な工芸があり、手仕事として多く残っている。戦前沖縄に入り、近代化によって失われつつあった日本の原風景を見た柳宗悦の影響で、戦後民芸がより盛んになった。
 民芸は世界に誇れる思想だが、柳を神格化する余り固定化する弊害も併せ持つ。民芸色の強い沖縄の焼物界に新風を吹かせたのが大嶺實清さんである。沖縄芸大の学長をされていたこともあり、多くの若手作家は實清さんが切り開かれたフィールドで、自由に作陶されている。御年80歳の實清さんの活動はここには書ききれないが、その姿勢は芸術家として私も含め多くの作家たちに尊敬されている。今展では3人の御子息と大嶺工房として出展されている。沖縄には魅力的な布を織る織り手が数多くいる。その中でも、繭から糸を紡ぎ、染色、機織りまで独自の感性を基に布を織る5人の織り手の方達を紹介したい。柄が消えて、色の力と糸の力を活かすことが楽しいという真喜志民子さんを筆頭に、沖縄の野の草の色をやさしく表現する高良留美子さん、志村ふくみさんに師事し沖縄の光と本州の光の違いを楽しみながら自作の布で着物を作る宮城さゆりさん、知的な内面が至極シンプルな布に浮き上がってくる織り手永津禮子さん、肌に近い布を独特な感性で織る事の出来る内間ルミ子さん、この南国の天女の様な5人の織り上げた布を一度に見る事が出来るのは本州では初めての事だろう。処女作が金属板をつなぎ合わせたブルドーザーという喜舎場さんは、楽器で言うとベーシスト。一歩控えたところで周りを観察しつつも、自分の世界を強く持ち、リズムを刻むように制作されている。華美に走らず、古物をよく研究されていて骨太な作風に共感する。渡慶次夫妻は木地と塗りを夫婦で分業しつつも、作家として個になったり協同したりして、作風や感性をより強く大きなものにしていく可能性を持つ。本土で木漆工を学んだ二人が、これから沖縄という風土の中でどう化学変化させていくか楽しみである。近代化以前、人が営みとして当たり前にしていた石焼き窯による天然酵母のパン作りは、何か強い動機がないと現代に継続させることは難しい。宗像さんと話をすると、科学的知識の裏付けと食への信念が伝わってくる。作られるパンのように噛みごたえのある人である。全粒粉・植物性のパン作りから始まった八重岳ベーカリーに、4年前よりルヴァンで修行した小原夫妻が加わり、沖縄の植物を利用して発展させた様々な八重岳クッキーなど展開に幅を広げつつある。世代転換の好例として、これからも応援していきたい。  
からだが求めているモノを作る、地域性と現代の感性の合流など、沖縄には作り手として思想を持った方が多いと実感している。江戸時代と同じように手仕事の最先端として、本土にも広がって欲しいと願っている。
                                                           百草 安藤雅信
 
 
 


大嶺工房

2007年頃から集中して器作りに取り組んできたつもりです。
土のこと、形のこと、釉薬のことなどものの美しさや表情にこだわる中で
新しいもの、面白いものに機能的なものを加えていくその難しさを実感している。

大嶺工房として四人がそれぞれ独立して仕事をしています。


大嶺晋也 陶芸歴15年
大嶺亜人 陶芸歴26年
大嶺由人 陶芸歴22年
大嶺實清 陶芸歴53年






 

喜舎場 智子

1974年に那覇市首里で生まれ育つ。人形よりもプラモデルに興味をもつ。
今でも工事現場のパワーショベルを見ると心が沸き立つ。
芸大を受験するが失敗し、浪人生としてペントハウス画塾に通う。
ペントハウス主宰 真喜志勉氏の作品展で今まで見たことのない自由な表現に心惹かれる。
陶芸家を志して読谷の窯元に弟子入りするが何かが違うと思い一年で退職する。
独学で革細工を始める。
既製の金属パーツが気に入らず、どうにか自分で作れないかと考え彫金教室に通い始める。
銀が融解する時の美しさ、金属の質感の経年変化の虜になり金属加工にのめり込む。
技術向上のたジュエリー加工本場のイタリアに留学。
古い町並みの中で生活して自分が作りたいものは煌びやかな宝石ではなく、普段使い出来るものであることに気がつく。
2007年 ci.cafu metal work設立。古代文明の装身具に興味も持つ。現在に至る。


 



   

渡慶次 弘幸


  1980

沖縄県に生まれる 成人するまでは空手、ギター、洋服、バイクが好きだった

  2000 家具を作りたいという理由で、沖縄県工芸指導所の木工課の研修生となる
  2001

研修終了と同時に自分で仕事を始めてみる

  2003 自分でやっていては全く技術が身につかないので、伝統として続けているところで修行することを望み、東京に出て江戸指物の職人さんのもとへ弟子入りをお願いするも叶わず。日雇いの仕事をしながらチャンスを伺う
息抜きに輪島を訪れた際に桐本木工所の桐本泰一さんと出会い、その仕事と気持ちに心動かされ、弟子入りを志願、受け入れてもらう。座卓、棚、盆、膳、重箱、匙、内装建具など、様々な漆器木地を作る修行の始まり。
  2007 大4年の弟子の期間が終わり、年季明け、職人として認められる
  2010 恐職人として3年勤めたのち、夫婦で器をつくることがしたくなり、沖縄に帰る。一年かけて工房を整備
  2011 約東京、小石川のスペースたかもりして木漆工とけしとして初個展
  2012 沖縄の木を使って器を作り始める
これをきっかけに沖縄の歴史や風土、生活の中から出て来る器を模索中
   


    渡慶次 愛

  1979 沖縄県に生まれる 工作と裁縫の好きな子ども時代を過ごす
  1998

高校卒業後、洋裁の道に進むことを考えるが進路に迷い現場で働くことを選ぶ
那覇市の洋服店にて販売と布小物の制作に携わる このころ染織を通して工芸に興味をもつ

  2001 見学に行った沖縄県工芸指導所で漆に出会い入所 洋服店をやめ、那覇市の琉球料理店でお運びのアルバイトを始める。
そこで漆器をはじめ、陶磁器やガラス等の作家ものの器、古い器に触れる
2002 沖縄県工芸指導所漆課卒業
生活の中で使う漆器を作ることを仕事にしたいと思い漆器の産地である輪島に行くことを考える
2003 石川県輪島市にて福田俊雄氏に出会う 丁寧な仕事とボロ布一つ無駄にせず使い切る姿勢に惹かれ弟子入り
2007 年季明け 福田敏雄氏、赤木明登氏の両工房にて勤める 両氏の仕事と暮らしに大きく影響を受ける
2008 結婚
2009 出産のため両工房とも退社
2010 地元沖縄に戻り夫婦で工房を構え、木漆工とけしとして活動をはじめる

 


真喜志 民子

  1941 那覇市生まれ
  1963

女子美術大学短期大学部造形美術科卒業

  1986-
 96

グループ展「ファブリケーション・布との対話」(沖縄) 
企画・出品7回

  1996 - 2010

日本各地で個展、グループ展を開催
ギャラリーマロニエ(京都) ビエニョ(名古屋) 
ワコール銀座アートスペース(東京) ギャラリーK(倉敷)
伊丹市立工芸センター(大阪) ギャラリー藍倉(奈良) 
ギャルリ灰月(松本) 札幌資料館ギャラリー(札幌)
como(東京) Siwory(倉敷) 壺中楽(鹿児島) 
G.wingsギャラリー(金沢) ぱるあーと(京都)
沖縄県立博物館県民ギャラリー(沖縄) AzabujubanGallery(東京) 
岐阜現代美術館(岐阜)を最後に沖縄で活動

   


    内間ルミ子

  1981

沖縄県伝統工芸指導所終了 真喜志民子氏に師事する

  1983 独自の作品作りを始める
  1991 -  96 グループ展「ファブリケーション」 第1〜7回
  1995 - 2003 グループ展「糸・布・衣」 第1〜5回
  2000

ギャラリーcomo 二人展「絲の詩・布の詩」

  2001 - 2009

ギャラリーEcru + HM「風綵布」vol1〜vol4

  2009 ギャラリーとーく「風綵」 vol1
  2009 ギャラリーとーく「風綵」 vol2 ギャラリーrojica「風布」展
  2012 ギャラリーoteshio「ぬぬ」展
   


    永津禮子

  1954 沖縄の首里に生まれる
  1977 琉球大学教育学部美術工芸科卒業
  1978 大城志津子織物研究所入所 沖縄の伝統的な染織を学ぶ
  1980 琉球大学教育学部美術工芸科に技官として務める
  1984 第58回国展工芸部門国画賞受賞
1985 ぬぬぬ会 東京展・大阪展・沖縄展(〜1991) 
有楽町西武高輪アートサロン、那覇市民ギャラリー他
1988 個展 白い布によるインスタレーション 画廊匠(沖縄)
沖縄で育てられた生繭を使った布づくり始める
1996 新しい沖縄のテキスタイル 糸・布・衣展(〜2003)
リウボウホール(沖縄)
2001 個展 ギャラリーcomo(東京)
2013 いちゅぱな展 MAX PLAN(沖縄)
現在 沖縄の養蚕農家の方との繋がりを大切にしながら
沖縄の天然繊維・天然染料を活かした作品を制作しています



宮城さゆり

1947 島根県生まれ 岡山大学教育学部卒業後 志村ふくみ先生に師事
1982 夫の故郷である沖縄に移住
柳宗悦先生の著作や志村先生の話からあこがれていた沖縄で真喜志民子さんや素敵な先輩、友人達に出会い、新しい素材とも出会って織の仕事を続けて来る事ができ嬉しく思っている
志村ふくみ門下生による“おぐら会”展に第1回から参加
個展(千葉、沖縄) 2人展(東京、神奈川)
沖縄でのグループ展(ファブリケーション展 糸、布、衣展 いちゅぱな展)に参加




高良留美子

1951 8月27日に生まれる
1981 3月 沖縄県伝統工芸指導所卒
1983 8月 大城志津子先生に師事
1987 から染と織展(三越)の第1〜10回に参加
1996 から糸、布、衣展(沖縄・パレットもくじ)の第1〜5回に参加
2013 11月 いちゅぱな展
上から


真喜志民子
内間ルミ子
永津禮子
高良留美子
宮城さゆり
 








宗像堂
宗像 誉支夫

1969 福島県郡山市生
1995 沖縄在住 
日本大学応用生物科学科卒業後、琉球大学大学院農学研究科修士課程修了 
20歳の時、妹のがん発症を期に分子生物学、代替え医療、死生観、微生物の醗酵技術などについて研究 
研究所退社後、陶芸家に師事陶工を3年、ものづくりの喜びが蘇る
2000 パン作りの道へ 
醗酵と成形、焼成過去に経験してきた科学者としての視点と経験がパンを通して結実する

 

2003 2003年より、妻みかと共に現在の沖縄県宜野湾市に宗像堂を立ち上げる
2012 トヨシマヒデキ氏による店舗の改装工事を行い、空間自体の醸し出す空気に刺激され、宗像堂としての更なる進化を目指している


八重岳ベーカリー
1977年よりクリスチャン医師の妻(比嘉恵美子)が、病で苦しむ人々のために、
病院食用、予防医学の食として、全粒粉・植物性の「黒パン」を作り始める。
「ぬちどぅ宝」(命、健康こそ宝)職員一同、心を合わせるパン作りへの感謝の祈りは創業より37年以上も続き、その精神は次世代に受け継がれている。
2010年よりルヴァンでの修行を経た小原裕輔、祐子夫妻が加わり、
パンやクッキーの原点である八重岳小麦の自然栽培や、
山に自生するシークヮーサーを使った野生種酵母の育成、
クッキーシリーズの開発など、「一物全体」「身土不二」の体現を目指し、 日々研鑽を重ねる。やんばる(山原)と呼ばわれる沖縄本島北部の自然豊かな八重岳山頂付近にあることもあり「天空のパン屋」「楽園のパン屋」とも呼ばれるシ
   
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