ギャルリももぐさ/百草
作品/百草
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安藤明子 個展(他)情報一覧
鈴木かつ子 原始機による茶綿胴衣
糸・布・衣展 IV
鈴木かつ子
坂田 敏子
安藤 明子

2004 4月24日(土)〜 5月9日(日)
11:00〜18:00
会期中無休

鈴木かつ子 スライドレクチャー
「多彩な色彩の国 メキシコで織る」
4月24日(土) 16:00〜
作家在廊日
坂田敏子:4月24日(土)
鈴木かつ子:4月24日(土)・25日(日)・5月9日(日)

今回も、週末カフェ「coffee KAJITA」による
ケーキとコーヒーをお楽しみ戴きます。
土・日は梶田氏の点てる自家焙煎のコーヒを
味わって戴けます。
尚、期間中を通して平日もKAJlTAのコーヒー、
紅茶とオリジテルの焼菓子に加え、
百草カフェメニュー(簡単なランチ等)を
ご用意しております。
布の耳の磁力
土田真紀 
 一筋の糸、一枚の布、一枚の衣が作られるまでにどれほどの人手と時間を必要としたのだろうか。一枚の布や衣が作られてから「もの」として消え失せるまでの時間に、何人の人の手を通り、どのように姿を変えていくのだろうか。古い布を前に漠然と考えていて、気が遠くなるような思いがすることがしばしばある。柳宗悦は工芸について書いた数多い文章の一つで、工芸品が作られるまでをその「前半生」とすれば、作られてからは「後半生」であると書いている(「作物の後半生」)が、一枚の布や衣には、時として人の生を思い浮かべずにいられないような長く変化に富んだ一生があるように思われる。
 以前に見せていただいた麻の雑巾は、幾重にも重ねられ接ぎ合わされた何十枚という布片のなかに、格子の越後上布が含まれていた。最高級の夏用の着物という印象が強く、実際に大変な工程を経て、苦労しながら織り上げられるという越後上布でさえ、小さな布切れとなって雑巾の一部に使われることがあるということに少なからず驚いた。最初からの端切れではなく、もとは着物だったとしたら、その間にどれほどの時が過ぎたのか。気が遠くなるほどの手間暇をかけられた布は勿体ない。勿体ないからこそ、ここまで使い切ることが布の生命を生かすことなのだろうかと考える。けれども大量消費社会に生きる我が身は、そのことをはたしてどこまで実感として掴めているのか、心許ない。
 片や舶載品として珍重される高級な織物であった嶋渡りの木綿縞や辻が花と呼ばれる美しい染め布は、茶道具の仕覆や掛幅の表具用の裂として大切に伝えられてきたように見える。しかしそれらにしても、織り上がり、染め上がった当初の布の形そのままではなく、何らかの用に役立つべく、次々と姿を変えて残ってきたことにちがいはない。だとすれば、一枚の布に鋏を入れるのが惜しいと思う気持ちと、何度も姿を変え、色も褪せ、小さな布切れになるまで使い続ける気持ちとの間に、布の生命を惜しむ気持ちという点では何らの違いも存在しないのかもしれない。一旦鋏を入れられた布は、二度と元には戻らない。一旦失われた色は再び還らない。綻びや染みのできた布をそれ以前の状態に戻すことも。その不可逆性こそが、考えてみれば生命というものの本質なのかもしれない。
糸布衣展は今回で四回目になるが、当初からの坂田敏子さんと安藤明子さんに今回はメキシコ在住の鈴木かつ子さんが加わった三人展である。通常こうした展覧会は人と人の繋がりによって成り立つように思うが、糸布衣展の場合は少し違っている。むしろ「もの」と「もの」とが互いを引き寄せ合ったというのがふさわしいようである。最初の糸布衣展のきっかけは、安藤さんがmon sakataの服に惹かれ、自分の作品を持って面識のなかった坂田さんを訪ねたことだと聞いている。展覧会はまもなく実現した。鈴木かつ子さんとの出会いもまた、安藤さんが偶然に鈴木さん作の一枚の木綿の布を見たことに始まっている。一見したところ変哲のない無地の平織りの布が、話に聞いて関心を持っていた四方耳織りの布であることに安藤さんは気づいたのであった。物言わぬ「もの」が人と人を結びつける。なまじ言葉を介さない分、かえって何か本質的なものがストレートに伝わるのではないだろうか。今回の展覧会に先立って、それぞれの出品作を手に取ることができた時、確かにそれらが響き合っているように思ったのである。
 別々の場所、異なる方法で、それぞれに糸や布や衣に関わってきた三人の作品は三者三様である。鈴木さんはメキシコ在住で、先住民の女性から話を聞いたり、古裂を参考にしながら、手探りで原始機による織りを始められたと伺っている。木綿というと、嶋渡りの唐桟や印度更紗といった舶載の布、あるいは江戸中期以降、日本の女性が自家用に織ってきた無数の縞や格子を思い浮かべる私は、鈴木さんの木綿に出会って、それらとは全く別の姿をもつ木綿の奥深さを垣間見ることができた。鈴木さんの作品を見ていると、木綿が、手触り、色、形、重量感などすべてにおいて、絹とも麻とも異なる確固とした一つの世界を持っていることが実感される。とりわけ茶綿の作からはそのような感じを受けている。
 坂田さんの服には、以前に知った「底至り」という日本語を思い出す、都会で生まれ育った人の洗練をいつも感じる。「底至り」は、一見地味、しかし目立たないところにセンスのよさを発揮する江戸庶民の美意識と聞くが、坂田さんの場合は、いかにもといった風ではない、内から滲み出るようなお洒落という意味でこの言葉を使ってみたくなる。かと言ってそれだけでは言い尽くせない。それ以外に何があるのだろうと思っていたが、坂田さんその人を少しずつ知るようになって、「言葉」がその奥に潜んでいることがわかってきた。言葉といっても直接に服を説明したり、服の哲学を語ったりするような言葉ではない。言ってみれば「服は詩のごとく」というあり方、服の向こう側に詩のような言葉が隠れているというか、何か独特の関係が言葉と服の間に成り立っているように感じるのである。
 安藤さんは、布をでき得るかぎりそのままの形で生かした服を作り続けている。布に鋏を入れることを最小限に抑え、どんな小さな余り布にもそれにふさわしい居場所を見つける、布の始末の名人である。二度目の糸布衣展あたりまでは古布が中心であったが、次第に用いる布の幅が広がり、限られた、本当に簡潔な手法によって、こちらが予想もしなかったほど豊かな広がりをもつ、奇を衒わず、それでいて時にはっとするほど大胆な服を作っていて、それがいつの間にか、これまでの既成の服のあり方(和洋含めて)とは異なる別の体系を構成するほどになってきていることに驚いている。

 確かに三者三様なのである。にもかかわらず、三人を引き寄せたものがあると感じさせるものの正体は何だろうか。一つ、具体的な答えを挙げるとすれば、布の耳、布や衣の端に対する感性ではないかと思う。鈴木さんの四方耳織りのごとく、普通に仕立てれば隠れてしまうはずの耳や端、あるいはその始末へのそれぞれの心遣いは、衣が布や糸からできていること、布が糸からできていること、糸が繭や綿の実や植物の繊維や羊毛などからできていることがいつも意識されていることの現れであり、ひいては三人が、糸や布や衣の生命を惜しみながら、織る、編む、縫うといった仕事に取り組んでいるあかしではないかと私は考える。百年単位ではかろうじて姿を留めてきた布も、千年単位となるとほとんどが消え失せてしまうのだろう。染織品は他の工芸品と比べても時間の経過に耐えにくいものである。たとえ布そのものがやがて消えていったとしても、かつて存在した布や衣の記憶は、耳や端のような目立たぬところに何より糸や布の生命を感じ取る人々がいる限り、伝えられていくのではないかと思う。遠く離れたものともの、人と人の間に時空を越えて働く磁力を信じたい。
安藤明子 ガーゼ上短衣
 
坂田敏子 麻ニットカーディガン
坂 田 敏 子
1977 古道具坂田の一角に子供服mon Sakataを始める
1983 独立して目白通りに移り、大人の服が中心となる
1997 新装mon Sakataに於いて20周年記念「糸・布・衣展」浦京子・安藤明子・坂田敏子
1999 「糸・布・衣展」二回目の展覧会を百草で開く
2002 25周年を記念して「Sanmarutenjiku Fit T」という本を出版(編集・山口デザイン事務所、撮影・奥秋貴子)
2003 「レンテンの藍」展(mon Sakataにて)安藤明子のサロン出品
鈴 木  か つ 子
1992 この年よりメキシコ、モレーロス州、テポストラン村 在住
1993 同じ村に住む、グァテマラ内戦の避難民であるイシル族の先住民、マリアから、テラール・デ・シントゥラを学ぶ
以後 メキシコ、グァテマラの先住民共同体を訪ね、インディヘナの女性達の仕事を見たり、聞いたりして学ぶ
また、各地で買い求めた布や、人からいただいたペルーの古裂をルーペで観察し、織の構造を研究し、試作を繰り返す
1995 グァテマラ、マム族の村、トドスサントスに逗留し、縫取織を学ぶ
1997 テポストラン村の老婦人セリアからエンプンタッドを学ぶ
道元禅師が中国に渡り修業中、食事係の老僧が椎茸を干しているのを見て、「どうして下の行者をお使いにならないのですか」と聞くと、「他人はわたしではない」と応じる この教訓は、私の織物修行の支えとなる
2000 望んでいた一枚の布ができあがる が、織物をやり過ぎて腕全体が動かなくなり、一年間の休養を余儀なくされる
2001 再開後、身体全体で織っている感覚を実感する
2002 和真ギャラリー
安 藤 明 子
1992 茶道をきっかけに衣生活を模索し始める この頃から夫と古道具を集め始め、雑誌で古道具坂田の存在を知り強く惹かれる
1994 古今東西の美しいと感じた布を素材に衣服の制作を始める
1996 坂田さん御夫妻に初めてお目にかかる
1997 mon Sakata「糸・布・衣展」に参加させていただく
1998 百草を始める
1999 「糸・布・衣展」(ギャルリももぐさ)
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