ギャルリももぐさ/百草
作品/百草
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企 画 展 今までの企画展・今後の企画展へ
「景」シリーズ1999 大嶽有一
大嶽有一展

2003 10月11日(土)〜10月26日(日)
11:00〜18:00
会期中無休
スライドレクチャー
10月11日(土) 16:00〜

作家在廊日
4月26日(土)・27日(日)
中村好文設計のカフェを増設中にです。
大変ご迷惑をおかけしますが、10月中、
仮オープンしておりますのでご利用ください。
彫刻って何だ
 「彫刻って何ですか」と率直に聞かれて一瞬息が止まった。教科書的な言葉ではない、普段使いの言葉で説明しようとするとなかなか難しい。自分の頭の中でイメージしたものを伝えてみる。路傍のお地蔵さんとその前に誰となく積んだ小石、公園のダンボールの家などは野外彫刻である。室内を見渡せば、窓から差し込み壁に映った光や縁側の盆栽、軒下に干されたシーツで遮られた風景も彫刻である。探せばあるものだと悦に入っていると、どうしてそれが彫刻なのかとくる。最後の手段はこじつけ理論を唱えるしかない。「それを前にして空気が一瞬変わったように感じたらそれは彫刻なんです」と答える。信じてはいけません。答案用紙に書いたら零点です。

 教育の弊害というか、ちょっと前まで彫刻というと裸像という考え方が長らく支配していた。裸像彫刻は西洋崇拝の産物であるが、雑誌や映画などで女性ヌードが認知されるにつれて堂々と街の目立つところに飾られるようになった。それまでは校庭の二宮金次郎像、功績のあった背広姿の町の偉い人など、街のあちらこちらに置いてある彫刻にも時代は色濃く反映している。バブルの時は抽象彫刻が多かった。これはアメリカの影響が強い。 「我々は何かある作品を見るとき、一方で形式上の比較をおこなうと同時に、他方では現実との比較をおこなっている。」とは中原佑介の言葉だが、彫刻という形式を借りて認知させたい事物(現実)を知らしめてきたのは、ここ100年多くの場合政治や経済の力であった。パトロン不在の日本ではやむをえないことではあるが、政治ではなく個人の生活を反映させた作品の表現と鑑賞が現実となることを我々は今望んでいる。それが冒頭の私の彫刻観につながっている。「街にはもうお仕着せモニュメントはいらない。」と言えるように一人一人が、これが私の彫刻という考えを持つことが大事である。勝手勝手に楽しみたいそういう時代の気分なのである。

 大嶽さんの作品を20代の時から順を追って見てみると、具象彫刻に始まって鉄の抽象彫刻、最近のセラミックを使った彫刻と素材も表現方法も時代と共に変遷してきている。言葉にすれば、人物像と鉄の抽象彫刻となるが、大嶽さんの非凡さは欧米からの借り物的要素が感じられないことだ。作家活動の初期の具象彫刻や作品群の主力を成す鉄の抽象彫刻は、一見して彫刻という形式を借りているように見えるが、表現されているものは特殊な文化に頼らない普遍性である。瞳が黒いという日本人の生理的条件、湿度が高いという風土的条件、文化の伝統と大嶽さんの個性が相まって「結果」として作品に表れている。大嶽さんの彫刻に接すると、江戸時代にヨーロッパの文化を深く吸収しつつ高いレベルの諸道具を作っていた職人魂と同じようなものを感じる。鉄の彫刻は形と素材というシンプルな構成要素で成り立っているが、そこには修練してきた者だけが見られる微細な美意識が裏付けされているのである。

 同じ地元出身作家の伊藤慶二さんにも共通して見られるのは、流行に左右されず物静かに真面目に着実に足跡を残していることである。東美濃の人間のある種の不器用さが、逆に外からようやく入ってきた文物を確実に咀嚼して自分のものにし、表現を高みに持っていく力となっている。個人の奥深いところから生まれたものはまた、見る側の個人の奥深いところに染み込んでいく。地味ではあるが心に響く作品は、そのようにしてしか生まれ得ないものだと思う。

 今展は大嶽さんの回顧展的な要素も含め、日本家屋を使った彫刻の展示も楽しみである。大嶽さんが日本家屋に集合する自然素材やそこに漂う光や空気をどのように彫刻に変換していくのか、見どころは多い。
百草 安藤雅信
時の秤 2003
大嶽有一 作家略歴
1949 岐阜県多治見市に生まれる
1968 県立多治見工業高等学校デザイン科を卒業
在学中彫刻家恵藤健一氏の塑像モデルを務めたことから彫刻に関心を深める
1970 名古屋造形芸術短期大学彫塑科を卒業
同彫塑科専攻科に学ぶ人物彫刻などを作り始める
名古屋桜画廊で初個展
1972 一年間のつもりで渡欧 スイスジュネープ州立美術学校に入学
ジュネーブの陶芸家Claude PRESSET、彫刻家Henri PRESSETと出会い、以後彼等から美術家として多くの影響を受ける
1975 ローザンヌ郊外のR.MAYER版画工房で銅版画の指導を受け制作を始める
ジュネープ州立美術学校彫刻科、版画科を卒業 その後版画制作に没頭 帰国
1981 アトリエを持つ
円筒形懸を造形の基本に定め、鉄彫刻の制作を再開
現在に至る
個 展
1970 桜画廊/名古屋
1971 桜画廊/名古屋
1972 桜画廊/名古屋
1975 ギャルリデフイロゾフ/スイス・ジュネーブ
1977 アテネ美術館タロニュルホール「Setuko NAGASAWA et Yuichi OTAKEj/ジュネーブ
1979 ギャルリプレクチュス/スイス・シェプル
1984 Dギャラリー/名古屋
1989 ギャラリーキャプション/岐阜
1991 ギャラリーキャプション/岐阜
1992 INAXギャラリー/東京
1993 NCAF(名古屋コンテンポラリーアートフェア)桜画廊/名古屋市民ギャラリー
1994 ギャラリーキャプション/岐阜
1995 新桜画廊/名古屋
1998 ギャラリーハンド/多治見
1999 ギャルリユマニテ/名古屋
2000 半原版画館/岐阜・瑞浪
2001 ギャラリーF/岐阜・美漉加茂
2002 M.H.Sタナカギヤラリー/名古屋
2003 盛岡クリスタル画廊/岩手
主なグループ展
1975 第Il回リエブリアナ国際版画ビエンナーレ展/
旧ユーゴスラヴイア
1976 第5回ブリティッシュ国際版画ビエンナーレ展/
英・ブラッドフォード
ヨーロッパミニアチュール版画展/独・ニュールンベルグ
第2回スイスビエンナーレrイマージュミルティプリエJ展/
ジュネーブ・ラツツ
美術館 iba(インターナショナルブックアート)figura-2版画展/独・ライブツイヒ
1977 第12回リュプリアナ国際版画ビエンナーレ展
/旧ユーゴスラヴイア
1978 第7回クラコヴイ国際版画ビエンナーレ展/ポーランド
第1回スイスデッサンクワドリエンナーレ一新しい世代J展/
ジュネーブ・ラッツ 美術館 Hilly賞受賞
1979 第13回リュプリアナ国際版画ビエンナーレ展
/旧ユーゴスラヴイア
1979 ギャルリプレクチュス/スイス・シェプル
1980 第8回クラコヴイ国際版画ビエンナーレ展/ポーランド
1985 岐阜現況展「戦後生まれの作家たち」立体部門/岐阜県美術館
1986 第9回日本金属造形作家展/東京・銀座和光ホール
岐阜現況展「戦後生まれの作家たち」平面部門/岐阜県美術館
ドイツと日本の作家たち「今日の金属造型」展 /石川美術館・札幌彫刻美術館・山形美術館・神奈川県立近代美術館
1989 5人展「石・陶・鉄in美濃」/多治見 以後5回展まで開催
1992 「Crossing Space」展/岐阜・ギャラリーキャプション
1997 「箱・その宇宙」展/名古屋・ギャルリユマニテ
1999 「景をめぐる五感のかたち」展/名古屋市民ギャラリー
2000 第1回現代美術絵馬展/愛知一宮・真清田神社
1999 ギャルリユマニテ/名古屋
2000 半原版画館/岐阜・瑞浪
2001 ギャラリーF/岐阜・美漉加茂
2002 M.H.Sタナカギヤラリー/名古屋
2003 盛岡クリスタル画廊/岩手
パブリックコレクション
・ローザンヌ州立美術館/スイス
・ジュネーブ・アリアナ美術館/スイス
・岐阜県美術館
・岐阜市神田町通り
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