ギャルリももぐさ/百草
作品/百草
Temporary Exhibition Gallery Permanent Exhibition Gallery Cafe Outline & Access Momogusa Original Masanobu Ando's Work Akiko Ando's Work Published Momogusa Blog.
企 画 展 今までの企画展・今後の企画展へ
前川秀樹 移動ベンチ クスクス2003/椅子 ハディラ2003
造形作家が作る生活具展

2003 4月26日(土)〜5月25日(日)
11:00〜18:00
会期中無休
スライドレクチャー
4月26日(土) 16:00〜

作家在廊日
4月26日(土)・27日(日)
会期中気まぐれカフェ併設
生活が芸術
 私が美術を進路と決めた10代の頃、天才芸術家はゴッホのように苦悩の末に自殺か、宮沢賢治のように結核で早死にするものと思っていた。天才でないとしてもジョン・レノンやイサム・ノグチのように生い立ちが不幸であることが、芸術活動の最低必要条件だと思い込んでいた。高校2年生の時、自分から苦悩を背追い込もうと雨の日の夜、裸足で雨の中を歩き回ったこともあるが、それは苦悩の人と思われたいがためのパフォーマンスに過ぎず、田舎では誰も気に留めてくれないので一回で終わってしまった。
 その苦悩のスタイルを破ってくれたのが現代美術の作家たちで特に19才の時に見た篠原有司男のダンボール製オートバイは、苦悩のかけらも見えず「こんなんでも美術になるんか」と勇気付けられたことを覚えている。
 そもそも苦悩の原因は近代的自我というものに目覚めて、神様やら村やらにとにかく一切の帰属をやめたことに始まっている。19世紀半ば以降100年間苦悩しながら「自分探し」をしてきたが、1970年頃よりその苦悩から解放されたというより、忘れるかのように経済活動に走った。芸術も自己表現から経済の一ジャンルになった。それによって芸術の質が落ちたとは思わない。時代の雰囲気と共に質が変わったのである。そしてここのところまた新しい変化が現れ、その兆しを前川夫妻の活動に見ている。
 経済の純粋なサイクルである作り手・買い手・使い手を一人で全部楽しくやってしまっている。芸術を人生論に置き換えてしまう苦悩系の私と違って、彼らと一緒にいると実に楽しい。先ず、彼らのアトリエ兼住居が面白い。建物から什器まで、買う(拾う)・作る・使うのサイクルが充満していて境界線がない。ミシンの足踏み台がドアの鉄格子になっていたりと、あちらこちらとよく工夫してあって飽きることがないし、既製品の取り込み方がうまく違和感がない。つまりどこまでが作品であるかないかが分からないのである。そして部品からジャンク、古道具の一つ一つに深い愛情を感じる。これを活かしてやろうあれを活かしてやろうというアイデアが家の中に充満している。前川秀樹君は淡路島での中学時代から毎日海岸で採集なり収集するのが日課であったそうだ。アイデアがあって物を作るというより、収集物なり買ってきた部品なりへの愛情が形を与えているという様子である。そういう意味で彫刻から生活具まで、彼の作る物すべてに生活感がにじみ出ていて別け隔てがないのが実にいい。一方の千恵さんは東京生まれらしく、部屋での作業が多い。物から触発されるというより、作品は緻密な仕事を丹念に反復することで活かされている。機を織り、細い筆で線を染めるということは、彼女の生活であり絵を描く行為である。伝統工芸の文様ではなく、1枚の絵として布を見て欲しい。
 彼らは楽しげな「LOLO CALO HARMATAN」という名前の工房名を持ち、「ハレの日の素敵なご馳走」をテーマとして活動している。しかし、私の目には神様や村や自我からも解放され国籍を自由に飛び越え、物を通して生活を楽しむ日常の在り方を提案されているように映る。重くもなく軽くもない彼らの自在さに羨望を覚えるのは私だけだろうか。
百草 安藤雅信
前川 千恵 ベーグル(携帯用カバン)2003
下駄 2003
前川秀樹
1967 淡路島生まれ。幼い頃は海洋学者になるのが夢でした。高校のときに"絵描き"を志す
1989 武蔵野美術大学油絵学科卒。
卒業と同時に平面による表現を休止し、木を素材に立体的な作品を制作開始。モティーフは魚、動物。
1990 初個展、ギャラリーなつか(銀座)。人、動物、植物、漂着物、椅子、標本棚等、自分の基盤をなす。 要素すべてを形にして展示。以降、彫刻は徐々に抽象的な形態へと変化。
"青山こどもの城"勤務。子供たちとのワークショップ活動を開始。
1995 鹿島彫刻コンクール 金賞受賞
1996 武蔵野美術大学、"パリ賞"受賞。1年間の渡仏。パリに拠点を置き、ヨーロッパ各地、長年の念願 だったアフリカ大陸を旅行。マリ共和国、ドゴン族の村に滞在。美術の現在の動向よりも、その歴史、 素材と作り手とのシンプルな関係、さまざまな地域の暮らしや道具、家に強く興味を覚える。
1997 帰国後、"LOLO CALO HARMATAN"を名乗り、前川千恵と二人で、暮らしの中で生かせるものの製作、発表を開始。
"ハレの日の素敵なご馳走"のような生活具、空間具の提案、がコンセプト。 以降、彫刻、ロロカロハルマタン、ワークショップ、を三本の柱として活動を展開。モノへの偏愛はますます肥大。
個 展
1995 INAXギャラリー(東京)
1996 cite des art (パリ)
1997 プラスマイナスギャラリー(東京)
2000 かわさきIBM市民文化ギャラリー(神奈川)
2003 Cスクエア 中京大学(名古屋)
グループ展
1994 鹿島彫刻コンクール展(東京)
1998 フィリップモリスアートアワード入選作品展(東京)
2001 拡張する美術/茨城県つくば美術館(茨城)
前川千恵
1967 東京武蔵野生まれ。
画家の伯父の影響で、何でも作るという習慣が、くらしの中にある環境で育った。
1989 武蔵野美術大学油絵学科卒。
卒業制作作品は絵画でなく"織"。卒業後 山梨へムスロイドで週一度 織りの基本を習う。その後 自分の表現として染めと織りを始める。
1992 前川秀樹と結婚。
1996 ともに渡仏。一年間 ヨーロッパ各地、アフリカを旅行。パリ市4区に滞在中、毎日のように市内を歩き回り週末は欠かさず蚤の市に出かける日々を過ごす。その暮らしの中から、帽子やかばんなど、 自分や友人の身の回りのものを作り始める。
1997 帰国後"LOLO CALO HARMATAN"設立、布の製作からかばんなどを作る。
2002 帯や下駄の製作も始める。料理 市場 犬の散歩。日常を紡ぎ出すことも、作品のうちだと思います。
LOLO CALO HARMATAN
1996 前川秀樹初めての家具展/はるり銀花(川越)
1997〜
1999
川越に週末ショップスペースLOLO CALO HARMATANオープン
1997〜 毎年、松本クラフトフェアー出品。
2000〜 LOLOCALO展(前川秀樹 千恵2人展)開催。ギャラリーM2(高知)、ギャラリーCOMO(青山)ほか。
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